受け容れることと手放すこと

つい最近、誰かが「受け容れることと同じくらい大事なのが手放すことだ」と言ったのを聞いた。どこで聞いたのか誰の言葉だったのか、まったく思い出せないけどいつになく胸に沁みて印象に残っている。

本当にそうよね!

心という容れ物も容量があるだろうし、詰め込むだけでは苦しくなりそう。だから”捨てる”のでも”諦める”のでもなくて手放すのだ。この考え方は若い時にはなかったな。とすると、やはり老いてくると取捨選択が必須になってくるのかもね。

そもそも私の場合、好奇心が強く欲張りだから、なんでも取り込んでしまう傾向がある。若いときはエネルギーも充満していたし、体力もあったからさほど困らなかったけど、さすがに後期高齢者ともなるとそんな元気はない。老い相応の衰えは自然の摂理だものね。
つまり、若さに任せて集めて溜め込んだものを仕分けする必要があるってこと。いわば心の断捨離。ま、あらためて仕分けなくても、おのずと整理されていくみたいだけど。

そうでなくとも最近とみに忘れる。自分で呆れるくらい忘れてしまう。
家族は「認知症は早めに対処すれば進行を遅らせることができる」から早めに報告せよというけれど、自分の場合、病的な物忘れだけではないのではないかと思っている。

忘れっぽいのは若いときからで、要は、覚える必要性がないと意識下で判断しているのではないか。そこから興味のあることはすぐに覚えるけど無いものは片端からザルのように流れ落ちていくという困った傾向になったようだ。
ワガママと片づけられればそうなのだけど。

たとえば数学。10段階評価で、国語古文漢文は10、数学は2というアンバランスぶり。数字を見ただけで拒否反応が起きるという有様だった。そのまま大人になって特に困ることもなかったから「なんだ要は必要なかったんじゃないの」と正当化したものだ。

でもね、数年前から「数学って本当は面白いんじゃないの」という考えがしきりによぎるようになったのよ!自分でもびっくり。そんなある春の日、ポスティングされていた手書きのコピー。”数学公開講座のお知らせ”とある。七里ガ浜の〇〇さんという方の受講生募集広告だ。

募集対象は
(1)中学生、または高校生
(2)数学や物理の勉強をしたいと考えている方
(3)数学検定・算数検定を目指す小中高生
(4)上記以外で希望される方
とある。さしずめ私の場合は(2)かしらね。

このちらしが私を強く惹き付けたことに驚愕した。う~ん、いまさら? 月謝もかかることだしなあ。でも未知なる世界が広がるかもしれない。ずっと苦手だと思っていた数学は、もしかしたら美しい世界なのかも・・・といった想いが千々に乱れる。
だから、いまだにこのチラシをきちんと折り畳んで手帳に仕舞い込んであるのよ。
さてさて、この思いはいつ手放すのやら。

電気紙芝居

映画好きは親譲り。小学校時代の日記を見ると「今日はお父さんとお母さんと映画をみに行きました」なんてのが一週間に二度、下手すると三度くらいある。むかしは鎌倉に映画館が数軒あって、全部観てしまうと、わざわざ藤沢まで行ったものだ。毎年夏は上諏訪へ旅行に行くのが習わしで、滞在中にも町の映画館へ行った。さすが田舎で、6本立てなんて凄まじいのがあったのよ。いちどきに6本も観られるなんてまさに映画天国!観る気満々の私に反して、両親は頭が痛くなったとか言い、3本くらい観たところで強引に連れ出されてしまったのが悔しい思い出として残っている。ことほど左様に好きだった。
まずいことに日記には続けて「帰りが夜遅くなったので朝起きられなくて遅刻しました」などと、バカ正直にも程があるよね。先生としては赤ペンで「学校のある日は早く寝ましょう」と書くしかないでしょ。しかし当の本人は、映画ってあんなに楽しいのに先生ってつまんないこと言うな、と思ったのだから、これはもう親の教育が悪い。

まあ、こんな下地があって老いた今も映画好き。しかし今日日、いわゆる興行成績がよいとされる映画もいちおう観たもののまったくと言っていいほど魅力を感じない。”スターウォーズ”しかり”ハリーポッター”しかり。”アベンジャーズ”に至っては躊躇なく跨いで通るだろう。意味なくお金をかけた映画になんであんなに熱狂するのか理解不能。メッセージ性なんて何もないじゃない。私自身は、人の生き方に迫ったというか、そういった内面的なことを描いた映画が好きなのだ。”イル・ポスティーノ”とか”死刑台のエレベーター”とか”マグノリアの花たち”とかが今も印象に残っている。

などとここまで書いてハタと気づいた。幼いときに連続活劇なんていうのに胸躍らせたではないか!”鞍馬天狗”だの”里見八犬伝”だのを観て続きの映画が楽しみでならなかった。あれこそ今で言う”スターウォーズ”の世界だ。そういえばスティーブン・キングが”グリーン・マイル”を発表したとき、6か月間に渡って一冊ずつ刊行したのも、幼い時の連続活劇にワクワクした想い出をなぞらえてのこと。彼自身が前口上にそう書いていたが、解る~っと大いに共感したものだ。私が抱いたワクワク感と少しも違わない。私の場合は、それをさらに遡ると、セピア色の霧の向こうに紙芝居が見えてくる。自転車を引いてやって来る紙芝居のおじさんが打ち鳴らす拍子木が開演の合図。それを聞いて50銭硬貨(だったかな)を握りしめ、空地へ駆けて行った。水飴とか炭酸煎餅とかの駄菓子が付いていて、それを食べながらおじさんの語りに耳を傾け、いささか、いやかなりキッチュな絵にググーッと惹き込まれていくのが常だった。

あのときの興奮は、理屈抜きの純粋なものだったな。そうか、なんとなく”スターウォーズ”への熱狂が理解できるかも。要するに電気紙芝居なんだ。
でも依然観ようとは思わないけどね!

さよなら平成、よろしく令和!

由比ガ浜にも令和の朝が来た今朝目を開けると令和だった(ちょっと『雪国』ふうw)。誰しもが大なり小なりそうであったように、平成はわが家族にとっても激動の時代だったな。
父、姑、夫、舅と大切な人を立て続けに失ったが、それでも生きた。バブル崩壊や癌との対峙、”寝たきり老人”の介護など、現代が抱える問題を網羅し、すべてが辛い決断や苦渋の選択を伴ったが、それでも生きた。そこへ、相前後して子どもたちそれぞれの結婚が三回、離婚も三回、再婚二回というドラマ、それでも生きた。孫も24歳から0歳まで九人を授かった(九人目は平成最後の駆け込み出産!)。私自身に限って言えば、専業主婦から寡婦、さらに幸運にも処を得て、料理季刊誌の編集長を務めた。しかも期せずして父親の後継者となったんだから面白い!

どれをとっても貴重な体験であり、意味のないものは一つもない。
よく「神は乗り越えられない試練は与えない」というじゃない?ほんとうにそうだと思う。言い換えれば私の能力に見合った試練だったわけよね。もっともっと大変な想いをしている人はたくさんいるわけで、こんなことくらいで音を上げてはバチが当たるよ。

令和と年号が変わっても人は日々生きていく。だから何も変わらないといえばそうなんだけど、昭和に生まれて青春を謳歌し、嫁して母親となるまでを過ごし、平成に入るやいなや相次いだ試練は私を変えた。いやいや結果として本質的には何も変わらなかったのだろうけど、自分観が変わったと思う。世間知らずの甘ったれお嬢ちゃんがそのまま齢をとったらこうなるんだと、己の姿を鏡に映せたからね。しかし、それもあながち悪いことばかりではなく、未成熟を伸びしろと考えればこれまた楽しってなもんよ。だって後期高齢者になっても伸びしろがあるなんて素敵じゃない!人はしょせん未完のまま死ぬ運命なんだから、ぎりぎりまで楽しめるってことだもの。

ただ一つだけ注意事項。あと何年生きるか分からないけど、いきなり飛びつくのは止めようと思っている。無警戒になんにでも心を許すのが私の傾向で、いきなり走り出して転んで膝をすりむくなんてのが定石だからね。このパターンでの火傷や怪我は数え切れず。痛いのは自分持ちだからいいけど、家族や友人に迷惑をかけたらいけない。だけどなあ、三つ子の魂百までだからな。死ぬまで治らないかも。ま、気を付けようと心掛けるだけでも少しはマシかしら。おっと、どこまでもご都合主義だよね、自分!

さてさて、令和はどんな事柄が待ち構えているのかしらね。いずれにせよ、きちんと向き合う覚悟は出来てる。それこそ年の功よ!

と、ここまで書いてアップして少ししたら、孫の婚約の知らせが!なんてこった!!これこそが人生の喜びよね♪ 神様、ありがとう!試練も喜びも謹んで等しくお受けします💛

「大人になろうよ」

「大人になれよ」とか「もう少し大人になろう」とか、しばしば耳にするよね。私自身はジョーク以外では言ったこともない。むしろずっと言われる立場だったから。
で、いつも思うの。”大人”って何?
どうも成人というだけではないようで「まだ高校生なのに大人だねえ」とも言うじゃない?文脈から察するに、周囲の人々を慮り、気持ちを斟酌し、立場を忖度できるという、社会的な成熟性を指すみたい。それなら私は間違いなく大人ではないよな。売らなくてもいい喧嘩をすぐ売るし、娘からつねづねKYという称号を戴いて本気で心配されている。もちろん単に私を貶めているのではなく、私が無意識にせよ周囲の人を傷つけ、そのことで周囲の人としばしば軋轢を生じるのをずっと見聞きしていたから憂慮しているのだ。いわば老婆心?それだけは解っているから、どうにも頭が上がらない。
では、大人になるべく努力をしているかというと、そんなことは毫もないのよね。だって無理なんだもの。開き直っているわけではなくて己を知っているだけ・・・あ、これすなわち開き直りか!

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説得力のある料理

食道楽であったオヤジが家で毎日の食事を作っていたこと、そのオヤジが1971年(昭和46年)に料理季刊誌『四季の味』を立ち上げたこと、ふしぎな巡り合わせから専業主婦の私がオヤジの死後『四季の味』に関わって親子二代で編集長を務めたことなど・・・

まあ、こういった事情で人よりも名店といわれるプロの料理を子供の時から食べる機会が多かったように思う。まさに環境が人を作るのよね。いまは単なる年金生活の独居老人だから、華々しいシーンからは遠のいているけれど”三つ子の魂百まで”というように、プロの料理をどうしても穿った目で見てしまいがち。それはそれで、いまや無責任な立場で見られるのが、かえって面白い。

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