「大人になろうよ」

「大人になれよ」とか「もう少し大人になろう」とか、しばしば耳にするよね。私自身はジョーク以外では言ったこともない。むしろずっと言われる立場だったから。
で、いつも思うの。”大人”って何?
どうも成人というだけではないようで「まだ高校生なのに大人だねえ」とも言うじゃない?文脈から察するに、周囲の人々を慮り、気持ちを斟酌し、立場を忖度できるという、社会的な成熟性を指すみたい。それなら私は間違いなく大人ではないよな。売らなくてもいい喧嘩をすぐ売るし、娘からつねづねKYという称号を戴いて本気で心配されている。もちろん単に私を貶めているのではなく、私が無意識にせよ周囲の人を傷つけ、そのことで周囲の人としばしば軋轢を生じるのをずっと見聞きしていたから憂慮しているのだ。いわば老婆心?それだけは解っているから、どうにも頭が上がらない。
では、大人になるべく努力をしているかというと、そんなことは毫もないのよね。だって無理なんだもの。開き直っているわけではなくて己を知っているだけ・・・あ、これすなわち開き直りか!

しかしさ、大人になるってそんなに大切なこと?
私にはどうしてもそうは思えない。そういえば英語で、childishとchildlikeではニュアンスが違うみたいよね。前者は(大人なのに)子どもっぽい、後者は(大人なのに)子どものように純真なことを指すらしい。できれば後者でありたいけれど、見る人によっては前者なんだろう。そいう都合の悪いことは一時棚上げにして(childishだね)、大人なのに否ばあさんなのに、子どものような好奇心を持ち続けていたいし、己の好悪に忠実でありたい。なぜならそうやって初めて見えてくるものがあるから。おっと、これは後付けかな。正確に言い直せば、そうやって初めて見えたものがたくさんあったのである。私のモチベーションは常に良くも悪くも強い好奇心。幼くしてはありえないほど膨大な読書量に見られるし、長じてはセクシャルな体験にも及ぶ。そういう物の見方が、どうやら私独自らしいと気づいたのはつい最近。こういうことを言うこと自体、独善性のリスクが付き纏うのは承知の上だ。ただ、私は私と違う物の見方にも敬意を払うし、違うからこそ興味を覚えて肯定的な関心を持てるのよ。あ~ら結構大人じゃん!

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