デラシネとノマド part2

前回は、デラシネ強迫観念から私がやっと解放された話をしたけれど、その続きね。
じつは孫ナンバー2の千夏が結婚して日本に来たあとすぐに、ナンバー1の雄がやってきたの。目的は日本で仕事をしながら日本語を習得することらしい。

雄は初孫で三歳まで日本に居た。夫が余命宣告された辛い時期に、夫は元より私たち家族にとって一筋の明るい光をもたらしてくれた存在だったのよ。文字通りの天使。息子の決断で、三歳のときにバリ島に行ってしまったのはつらかったけど、インドネシア人のママがより暮らしやすいだろうとも思った。それまでママは本当に献身的に私たちを支えてくれたから、これからは生き生きと暮らせる場所に落ち着いてほしいという願いもあったし、幼い子供にとってママの幸せが自分の幸せでしょ?

それから3回くらいかしらね、こちらから訪ねて行って会ったのは。幸い、フェイスブックやグループラインなどで近況を知れる時代。高校を卒業して大学に進んだこと、可愛いガールフレンドの存在などを遠くから微笑ましくみることができた。次第にたくましく成長して優しいいい子になったなあ、と思ったのは、あながちババ馬鹿だけではなかったと思うわよ。とはいえ、実際に日本で共に過ごすとなると話は別で、25歳となった雄は未知の存在といっても大げさではない。

なにしろ日本を捨てた長男の血を引くデラシネジュニアだものね。国籍こそ日本だけど、母国語はインドネシア語、大学教育は英語。私は片言のインドネシア語と頼りない英語、雄はやはり片言の日本語ときてはコミュニケーションも容易ではない。そもそも日本人としてのアイデンティティは確立していないだろうし、自己分裂を起こさないまでも、さぞ心細いのではないだろうかと不憫にさえ思えた。

すぐにこれが浅はかな、文字通りの老婆心であることを知った。

実際の雄の暮らしぶりは、なんといえばいいかな、歌うようにといったら分かるかしら。分かりにくいわよね。でも本当にそうなのよ。自分の置かれた状況の下で、何をすべきか迷いがない。かといってまなじりを釣り上げて突撃するわけでもなく、淡々と選択肢を広げて、それを楽しんでいる様子に舌を巻いた。

AIを専攻したというだけあってスマホをフル活用し、次々と面接のアポを取り付けて不慣れなはずの場所へ赴く。また熱心なカトリック教徒として近辺の教会を調べてミサに参列するし、安い日本語教室を検索して通う、などとなかなか忙しい日々を送っている様子。こだわりがなく明るい、といって周囲への気配りも忘れない。私へのいたわりもごく自然にできる。「オバーチャン、ダイジョウブ?」が口癖で遠くからでも見守ってくれていることを感じる。そういったことどもに、義務感やおざなりの道徳観など一切感じさせないからおどろくばかり。

そんな雄を驚嘆とともに見るうちに、ハタと気づいたのよ。

そうか!雄はボーダーレスなんだ!日本人であると同時にインドネシア人、もっといえば地球人かな。素敵!国境だの人種だのに捉われていたのはわたしのほう。不憫だなんて思い違いも甚だしい。憐れなのはお前じゃないか!

まるで連想ゲームのように思い出したのが一冊の本。本棚で探すと、あったあった埃を被った『無境界』。”自己成長のセラピー論”という副題のこれは、アメリカのトランスパーソナル心理学の権威ケン・ウイルバーの著書で、私が30代から40代のころに読み耽ったのだった。開くといたるところに鉛筆で傍線やら書き込みがあるじゃありませんか。

笑っちゃうのは、そのどれもが、雄から教えられて気づかされたことに通じるものだったこと。おいおい、読んだというだけで少しも学んでいないじゃないか、頭でかっちめ!とおのれに突っ込みを入れかけたが、待てよ。これでもいいんじゃないか。神経衰弱ゲームのように、めくったカードを見て、たしかあそこにあったぞ、と思い出すのに似てない?

いつか読んだ本が意識の奥底にしまわれていて、事象に呼応して顕れてくるって考えると素晴らしい。

雄がデラシネではないということは、すなわち長男もそうではない。父も息子もノマドだったというわけか。長男は日本を捨てたのではなく境界線を取り払ったんだ!デラシネからはノマドは生まれないから。

さらに考察すると、私が長男や次男、ひいては孫たちが遠く手の及ばないところに居ることがさほど苦にならないことにも意味がある。私自身が無境界を意識の底で”知って”いたからだ。物理的な距離はたしかに大きいが時空を超えるっていうのかしら、幸多かれと祈ることは手を伸ばせば届くくらいに距離を縮める。つまり実際に会えるか会えないかなど、なんの意味も持たなくなるってわけ。たとえば、孫ナンバー8は長男の一番下の子でやっと幼稚園。この子に会えないまま私は死ぬかもしれないって、あり得る話よね。でもこの子の存在は確たるもので、私の腕でしっかり抱きしめる感覚さえある。

”幸多かれ”と祈るといったけど、額面通り、幸せなことばかりという意味のつもりはないのよ。だれしも困難や課題を抜きには生きられない。でもそれは避けたい事柄ではなく、人生のジャンピングボード。孫たちが、これから遭遇するそれらの事柄を怯まずに受けて立つことができますように、という祈りってわけ。ま、そんな祈りがなくてもやっていけるから余計なお世話なんだけどね。日本に居たばあちゃんが、こんな風に祈ってたんだって、このブログで知れるといいな。

これって、はじめはとげとげしいガラスのかけらが長い年月波に洗われて角が取れ、美しいビーチグラスになった様を愛でるみたいな・・・そんな気持ち。ああ、これで安心して死ねるわと思ったのでした。

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